高校では念願のダンス部に所属して活動していました。
港北高校のダンス部は、ダンス同好会時代の名残から通称DDと呼ばれており、体育祭・文化祭・クリスマスパーティー・3送会でのパフォーマンスをメインに、また年に2回ある大会に向けて日々練習していました。
特に力を入れていた日本高校ダンス部選手権 Dance Studium(通称ダンスタ)は、ダンス部にとっての甲子園であり、11人以下のスモールクラスと12人以上のビッグクラスの二つの階級があります。私の高校では春のダンスタと呼ばれる新人戦にスモールクラスで出場することになり、30人を超える同期の中からオーディションが行われ、11人が選ばれることになりました。どうしても大会メンバーに選ばれたかったため、沢山練習をし、無事に選抜メンバーとして大会に出場することができました。
ダンスタではコンセプトの戦いと呼ばれるほど、テーマに沿った表現をする高校が多く(例:マエストロ、鳳凰、祭りなど)どのようなテーマの作品を出展するか、コーチと話し合いを重ねた結果、私たちはストリートダンスで勝負することに決めました。そのため、他校とは一線を画した仕上がりになりましたが、日本ストリートダンス協会賞という特別賞を受賞することができました!!

夏のダンスタにも出場することになったのですが、持病の椎間板ヘルニアが悪化してしまい、私は参加することができませんでした。しかし、先生方から選抜チームの作品でもう一度大会に出場してみないかと声をかけていただき、秋の全国高等学校日本大通りストリートダンスバトルに挑戦することになりました。そこではコーチとして作品作りを担当してくださっていた先輩も一緒に出場することになり、より一層気合を入れて練習をしました。
当日は午前に関東大会があり無事に通過し、午後に開催された全国大会に出場しました。
結果を残すことはできませんでしたが、自分にとって全国大会で作品を披露できたことは一生忘れないと思います。
